Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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#負債論 #デヴィッドグレーバー #スティーブバノン 綱覇佳秋氏(以下T)との対話: この国における#右派 #右翼 ・ #左派 #左翼 のマトリクスを巡って 2017/3/07-3/08
永澤 護·2017年3月9日木曜日

2017年3月7日
私:先の対話における デヴィッドグレーバー の『負債論』は綱覇さんが言及した #フェルナンブローデル の本を本文および注記に記載するなどブローデル以後大きな影響力を持ったアナール学派歴史学の流れを肯定しつつ補完するものだと位置付けられます。重要な補完があるのですがそれについては今はショートカットします。ブローデルとアナール学派は昔懐かしいですが、学部時代には「アナール学派」という名称やフィリップ・アリエスの『「子供」の誕生』は知っていたと思います。手帳にメモした記憶があるので。
一応カント、メルロ=ポンティ、 #フランクフルト学派 、フランス現代思想などを読んでいたので基本Habermas,Deleuze,Deleuze-Guattari,Foucault,Derridaなどほぼリアルタイムでフォローしながら原書で読んでいました。たださすがにブローデルの膨大な著書を原書で読むのは無理です。
T:この私が前リンクで示した日経新聞のコラムは、グレーバーの『負債論』を下敷きにしているっぽくないですか? それにしてもこの本、邦訳が原書の3倍の価格です。こういう本を読む人はみんな原書で読みそうですね。
日本では #ピケティ 本ほどには流行らないのはまだまだ借金踏み倒したくない人の方が多いってことでしょうね。
私:この本で本当に何かを考えたいのなら、できれば原書で時間を十分かけて読むべきです。そもそも訳書は高くてなかなか手が出ないですが。やはり訳でさっと読んで済ませるべきではないですよ。訳でもさっと読むのは無理でしょう。私は原書だけで断続的にのべ日数として20日ほどかけました。
ということで翻訳は持っていません。
T:専門書は読む人が限られており、読まなければならない人は値段にかかわらず読むので、価格弾力性の低い商品と捉えられているのでしょう。むしろ問題は、ピケティ本は商品としては専門書ではない売れ方をしたのに、グレーバー本は商品としても専門書であるままという需要側の問題があると思います。つまり、ピケティ本は流行って喜ぶ人たちが大勢いた(格差反対商売をしている左翼知識人)のに対し、グレーバー本はそのような人たちから興味を示されなかったということかと思います。むしろ右派的と言ってよい日経新聞のコラムニストがしっかりものにしている。日本では #知的右翼 のマーケットがなく、知的右翼は為政者側から広がらないという問題です。書籍のマーケットは #知的左派 とバカ右翼によって構成されているという問題がある。
また、 #知的左翼 が為政者側にいないという裏かえしの構造も。
#知的右派 がバカ右翼をコントロールしているという構造はアメリカも同じですが、左派の構造は違いますね。
私:実に難しい錯綜した問題なのですね。知的左派の問題は。
T:思うにグレーバーは #アナーキスト だから日本の知的左派の食指が動かなかったのではないでしょうか。日本では歴史的にアナーキストは右派が担ってきた。ところが戦後徐々に右派アナーキストは駆逐されてきた。右も左も #国家主義 ばかりなんですよ。大きな #国家論 と小さな国家論で争ってるのが今の左右。国家より民族を優先に考える右派は(そういう右派はなぜか #アナーキズム とも親和性があった。それは日本人の民族性と宗教性のゆえと僕は思っていますが)死に絶えました。希望は #サブカル 業界だと思ってるのが、アナーキー系知識人なんじゃないですか。
私の個人的主観です。
あと今の日本の為政者側にいる知的右派を在野にシフトすることは原理上できないという問題もありますね。だから知的右派の大衆ができてこない。その点ではサブカルに期待する人の気持ちは分かります。
ただサブカルはやっぱりバーチャルなんですよ。風で終わる宿命です。受け皿がいる。そこが握られているし、根腐れしている。
私:もはやサブカルのイメージすら沸きません。おっしゃるように「受け皿」が最初から完全に体制に握られているので。エージェントらしき怪しい文化人・知識人が多々います。
グレーバー本は知的左派の偶像である #ニーチェ と #マルクス をともに極めてシャープかつ簡潔に偶像破壊していますのでその筋から受けが悪かったのでしょう。私は彼の批判は概ね正しいと思いますが。
アナーキーでもマーケティング的には「ニーチェやマルクスもOK」的雰囲気なら問題ないのです。むしろ知的左派の主流ですそれは。
フェミニズム系のカルスタやフロイト左派。 #リベラル派 アナーキスト。この場合 リベラル派 #マルキスト とほとんど区別がない。その大部分が少なくても戦後地政学的に「欧米体制内左派」です。個人の主観的自覚(それがどれほど強固でも)とは無関係に。
アンチ #トランプ 動員勢力の要であり、その筋のあらゆる大学・研究機関・大手NGOなどへの補助金等実質的に #ネオコン (かつてのトロツキー主義者)がスポンサーです。ちなみに #アドルノ ・ #ホルクハイマー などフランクフルト学派のスポンサー(というよりむしろ企画者)は英国王立国際問題研究所:RIIAだという説があります。ともあれ、「フランクフルト・アム・マインに現存するIG・ファルベン社本部ビル。ハンス・ペルツィヒの設計で1931年に完成した。戦後はアメリカ軍の最高司令部に、ドイツ再統一後はフランクフルト大学のキャンパスになった」(Wiki)という事実があります。国際金融資本がIGファルベンを巨大な媒介項にしてナチスに資金援助していたのは周知ですが、そのIGファルベン本社が戦後再出発したフランクフルト大学に変貌したということです。
英国離脱反対でEU維持。フランスでは社会党の流れを組むアンチルペンつまりはあの #ポストモダン の流れですね。
おわかりのように現在世界規模で没落傾向です。この巨大な流れは世界史的に決定的で不可逆です。その自壊の知的兆候は随所にありますが、昨年目立ったのが #アンドリューカルプ という若者(笑)の書いた『 #ダークドゥルーズ 』という本です。
しかしこうした事態は綱覇さんはほとんど気にすることはないでしょうし気にする必要ないですよもちろん。
2017年3月8日
T:『ダーク・ドゥルーズ』は私のアンテナにも引っかかってきましたよ。日本橋丸善かどこっかで平積みになってたのを見かけて面白そうだなあと。でも買ってません。ドゥルーズもちゃんと読んでないので。はい、おっしゃるとおり業界が違うので。現代思想業界というかアカデミズム業界だと必読書っぽいですが、それはIT業界でOSI知ってるみたいなもんなんでしょうね。きっと。知らないと素人みたいな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/OSI%E5%8F%82%E7%85%A7%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB
引用:
「OSI参照モデル(OSIさんしょうモデル、英: OSI reference model)は、国際標準化機構(ISO)によって策定された、コンピュータの持つべき通信機能を階層構造に分割したモデルである。OSI基本参照モデル、OSIモデルなどとも呼ばれ、通信機能(通信プロトコル)を7つの階層に分けて定義している。」
で、それはどうでもよくて、左右の話しが面白いので、私なりのまとめ。非常に粗いですが、余興的に。現在の左右は、国家の大小と #民族主義 的(ナショナル)かコスモポリタン的(グローバル)かの2x2のマトリクスで、従来の左右は民族主義的か否かで分類できたが、現在は国家の大小で左右が判断される。ゆえに、移民反対な #上野千鶴子 も大きな国家よりなので、 #ネトウヨ から #左翼 に見られている。移民賛成でも福祉国家志向なら左翼( #リベラル はこのボックスに入る)だし小さな国家志向なら右と判断される(グローバル企業の経営層や経団連など財界はこのボックス)。この単純な2x2BOXが強力に作用しているので、他国の民族を大切にしようとする本来の #民族主義右翼 は同じBOXの #ヘイトスピーチ な連中の声にかき消され、他陣営からも同類として扱われるため、存在していないも同じ(日本の現状)。よって本来の民族主義右翼は強固なBOXの外の風にのみ顕在化している( #村上春樹 や #小沢健二 などのサブカル)。これが日本の現状。
次まとめ2。Judeo-Christianなるものは歴史的にも宗教的にも文化的にも存在しなかったが、 #オーウェル がそれを発明した。これに目を付けた #ハンチントン が、歴史的にも宗教的にも文化的にも存在しなかったが、倫理的には存在してきたのだと「再帰的に」つまりフェイクとして捏造し、 #文明の衝突 という政治経済ビジネスのビッグピクチャーを書いた。それはフェイクがゆえに本が売れただけで忘れ去られようとしていたが、フェイクを #オルトファクト と言い換えるという天才的発明をひっさげた #バノン が復活させて、既成事実化した。キリスト教にうとい日本の知識人やネットジャーナリストたちが、「ではのかみ 」の伝統にのっとって無邪気にそれを輸入した。それが一般大衆に広まりつつある。←いまここ。で、トランプがネオコンに懐柔されてしまったかどうかは、北朝鮮に米軍が軍事行動を起こすかどうかでわかりますね。
もちろん、ジャックアウトの処方箋は僕は持ってます。そうでないと評論家になっちゃうので。
私:了解です。概ね同意します。なおJudeo-Christianというテーマについては前回の私のブログ記事をご参照ください。
https://plus.google.com/102474931020704072503/posts/7r8rbk7SNji
「 #資本主義 #スティーブバノン #ドナルドトランプ #負債論 超地政学的-戦略的装置の産物としての「ユダヤキリスト教的」という術語群について 2017/3/04-3/05」
以下に主要部分を転載します。
以下転載開始:
いわば長州と薩摩の戦いのグローバル・バージョンがそのつど形を変えて古代から現在まで持続してきた。最も深いレベルから見ると、イスラムとカルヴァン派はその派生態として位置づけられる。ようやく古びた装置が命脈を失いかけたかに見えたそのとき、その新たな闘争のバージョンを蒸し返し偽の闘争という世界史を再生させた #カルヴァン と特に #ルター を ニーチェは決して許せなかった。(『この人を見よ』参照) ニーチェは世界史を貫通する深層レベルの巨大なイデオロギー装置群批判の先駆けであり、その視点からは #マックスウェーバー の『 #古代ユダヤ教 』における部族的・共同体的同胞倫理(対内倫理と対外倫理の二項対立的分割)批判も同じカテゴリーとなる。先に引用した書評にあるように、有利子貸付に関するキリスト教の倫理も、結局はカトリックとプロテスタントを問わず旧約的な「同胞に対する対内倫理と異邦人に対する対外倫理の分割」に貫かれていたからだ。ウェーバーの批判の射程はそこまで届いている。互いに絡み合った優生主義と人種主義の問題が浮上してくるのもこの地点である。
スティーブ・バノンがカトリックであり、彼のユダヤキリスト教倫理に基づく攻撃的言説がかなりの程度ギミックだろうことは間違いない。だが、バノン自身が上記の超地政学的-戦略的装置を利用しつつも同時にその産物としてのパラノイアなのも確かだ。そのことが現実に対イスラム世界戦争が引き起こされるかどうかなど今後の我々の生存に関わる世界史の二重性とダイレクトにリンクしている。
今トランプが鍵になるのはまさにカルヴァン派としての彼の個がかつてなく問われているからだ。トランプがバノンやジャレド・クシュナーらを使いこなすのか、あるいは切るのか等が注目点である。つまり焦点となるのは、トランプ個人の単独性とトランプをとりまく人脈の縁起的関係性のメタレベルあるいはパラレベルの関係性である。それもまた縁起的関係性なのだが。
いわゆるユダヤキリスト教倫理とは、資本主義の動力因の産物にそれらしいしかも偽装的なレッテルを貼り付けたものだといえるが、それがリファーしているレベルは深層レベルである。この場合資本主義の定義は『プロ倫』のウェーバーより射程が広いのでウェーバーが限定した倫理としての動力因とはずれが生じる。深層とはつまり資本主義の動力因として組み立てられた超地政学的-戦略的装置の総体であり、グレーバーはそれを帝国の基軸としての軍事=鋳貨=奴隷制複合体というリアルな負債の論理のここ5000年の歴史的展開として記述している。
以上転載終了
しかし必ずしも悪いことばかりではないかと。
T:悪いことばかりに思えますが。
私:最悪のステージだけが出口を示す。と言いつつ苦笑せざるを得ませんが。
T:ところでグレーバーのいう、マルクスはともかくニーチェの破壊されるべき偶像ってなんですか?
私: #アダムスミス 、ニーチェ、マルクスに共通な等価交換市場のつまり経済学の創設神話です。バーター取引を起源とし、あたかも自然発生的に国家・奴隷制・戦争なしに、またはそれから独立に初めから計算可能な(ここがポイントです)等価交換市場として生まれた市場という物語としての。
ニーチェの『道徳の系譜』もあたかも初めから(先史時代から?)計算可能な負債の(同時にそれを受肉する人間の身体の)等価交換(たとえそれが「記憶」や「約束」を創出する残酷極まりない行為という物語の形を取っているとしても)があったかのようなブルジョア神話をスミスと共有しているのでその独創性を完全に否定されています。
参考までに、今年1/13の私のツイートです。
以下転載:
グレーバーは、 #ドゥルーズガタリ の『 #アンチオイディプス 』以来過大評価され続けてきたニーチェの『道徳の系譜学』の「独創性」を、実際にはアダム・スミスとブルジョワ経済学の前提を共有するものとして適切に再評価している。
以上転載終了
グレーバーによれば、マルクスも同様です。
ちなみに私はここ数年ニーチェより #ショーペンハウアー をはるかに高く評価しています。(ショーペンハウアーの『自殺について』は私の哲学の出発点です。) ニーチェは「ショーペンハウアー革命」以後の「通常科学」のパラダイムでショーペンハウアーが真の科学革命。つまりニーチェはショーペンハウアーが切り開いた革命の大地を通常科学のパラダイムとして前提しその上で踊っている。ニーチェが世界史を貫通する深層レベルの巨大なイデオロギー装置群批判の先駆けとなったのも、このショーペンハウアー革命をへてはじめて可能になったのです。


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